愛するうさぎの死はあまりにもつらい経験。まるで別世界にいるようだ。
わたしに愛することの意味を教えてくれたのは、うさぎでした。
一緒に生きた6年間には、「愛」しかありません。
早すぎたうさぎの死は、わたしにはあまりにもつらい経験。
うさぎがいなくなった世界は、まるで昨日までとはちがう世界に見える。
同じ景色が、こんなにもちがって見えるとは思ってもみませんでした。
愛するうさぎとの思い出は、ゆっくりと時間をかけて風化していくのかもしれません。
でも、うさぎを愛した想いは、決して消えることはありません。
いくら時が流れようとも、あれほどの幸せを感じた時間を忘れることはできません。
わたしが目を覚ました瞬間に、じぃ~っと見つめるつぶらな瞳。
わたしの横で、白いお腹を見せて眠る姿。
ご飯の時間に、猛ダッシュで突撃してくる姿。
朝日を浴びながら、まったりとくつろいでいる顔。
そのどれもが、幸せな瞬間の集まりなのです。
ほんの一瞬も見逃したくなくて、いつも愛するうさぎばかり見ていました。
仕事をしている時も、ご飯を食べている時も、テレビを観ている時も。
1日に何度もうさぎの姿を探し、表情を確認し、行動をチェックする。
何か異変はないか。体調は大丈夫か。リラックスしているか。
そんなふうに、うさぎのことばかり考える生活でした。
それが何より幸せで、うさぎに出会えたことを毎日感謝していました。
同じようにうさぎを愛してくれる人と、穏やかな生活がこれからも続くのだと思っていたのです。
しかし突然その日はやって来ました。
その日は、今日が最後の日だと直感で感じたのです。
1日中苦しむうさぎの姿は、見ていられないほどつらく、胸が締めつけられる思いでした。
それでも隣にいたい。
いつまでも、そばで見守っていたいと感じました。
少しずつ呼吸が苦しくなっていく様子は、最期の時が近づいていることを知らせていました。
本当は逃げ出したいくらいつらいけど、片時も離れることはできなかった。
一瞬たりとも見逃してはいけないと感じたのです。
愛するうさぎは、わたしに生きることの意味も教えてくれようとしていました。
生きることはつらいことが多いけど、それでも精一杯生き抜こうとするうさぎの姿が今でも脳裏に焼きついています。
そして最後の呼吸をした愛するうさぎを優しく撫でたのです。
夢なのか現実なのか、区別がつかないような不思議な感覚でした。
昨日までそれなりに元気にしていたのに、突然その時はやって来るものなのです。
今目の前で横たわっているうさぎは、本当にわたしの愛するうさぎなのか。
信じられない気持ちになります。
毎日見ていた景色は、「愛するうさぎがいない世界」へと変わっていきました。
同じ木を見ても、愛するうさぎがいるのといないのとでは、こんなにもちがって見えるのだと、初めて知りました。
穏やかな風が吹いてきても、愛するうさぎがいる気持ち良さは、もう感じられません。
そんなふうにして、わたしの生きている世界は変わりました。
あれから2ヶ月ちかく経ち、今では穏やかな気持ちも少しだけ取りもどせそうになってきました。
愛するうさぎは、いつまでも悲しんでいることを望んでいません。
いつも最大限の愛情を向けてくれた、わたしの愛するうさぎ。
愛を知らないわたしが、何とかできる限りの愛情を注いだうさぎ。
どんなわたしでも、うさぎはいつも愛してくれました。
そしてこれからもきっと、愛し続けてくれることでしょう。
わたしも愛し続けます。
きっと愛するうさぎは、いつもわたしたちのことを見ている。
そしていつか、再会できる時が来るかもしれない。
そんなふうに思う。