今日もゆるりと生きる

がんばりすぎない生き方の教科書

森博嗣「日本人は説明しすぎる」という言葉で疑問が吹っ飛んだ

 

わたしは森博嗣のエッセイが好きで良く読んでいる。

「氏」をつけないと失礼だと思うかもしれないが、呼び捨てにすることで相手に親近感が湧く。苗字だけで呼び捨てにすると、命令されているように感じるが、フルネームで呼び捨てにすると、それは名前の枠を超え「固有名詞」となる。

 

いわば「登録商標」のようなものだ。

 

だからわたしは、あえて「森博嗣」と呼び捨てにする。というよりも、それが自然だからだ。

 

さて、余計な話はこの辺にして、本題に入ろう。

 

わたしはブログを書いていて、常々思うことがある。それは、「そこまで懇切丁寧に説明しないと、読者は理解できないのだろうか?」ということ。

 

わかりやすい説明が必要なことはわかるが、あまりにも手取り足取り説明されると「ウザイ」「クドイ」「面倒くさい」とわたしは思ってしまう。

 

しかし、そのような記事が上位表示されていることを考えると、「そのようなクドイ書き方をしなければ上位表示されない」という答えに行きつく。

 

だから、仕方なくその書き方を真似して書いているが、いつも途中で納得できなくなってしまう。

 

丁寧な説明は読者のことを考えた文章といえるが、「読者をバカにしているのではないか?」とも思える。

 

このようなモヤモヤを抱えていたわたしの疑問を吹っ飛ばしてくれたのが、森博嗣のエッセイに書かれていた「日本人は説明しすぎる」という言葉だ。

 

この言葉を読んだとき、わたしがぼんやりと感じていた疑問を解決してくれたのでスッキリした。

 

 

 

そして、もう1つわたしが疑問に感じていたことも、森博嗣は解決してくれた。

それは、「読みやすい文章って、いったい何だ?」という疑問。

 

「わかりやすい文章」を書くことは大切だが、「読みやすい文章」は果たして必要なのだろうか?

 

と森博嗣は言っている。わたしもそう思う。

 

文章には、それぞれの人の個性があっていい。

中には、読みにくい文章があってもおもしろいのではないだろうか?

 

その文章が合わないなら、読まなくていい。

すべての人に通じる文章が、必ずしも良い文章ではないのだ。

 

とはいえ、文章で稼ぐとなれば、そうもいかない。

やはり、すべての人に通じる文章が必要になる。

 

  • 懇切丁寧に説明する文章
  • わかりやすくて読みやすい文章

 

結局、「この2つの要素を満たした文章を書くしかない」という結論に達する。

 

 

これは、小説にも同じことが言えると森博嗣は言う。

 

小説に何かの学びのようなものを求めていて、その説明責任が果たされていないと、読者は不満を感じるというのだ。

 

たとえば、小説には2種類ある。

  • 緻密な計算をして、伏線をしっかりと回収し、最後に「なるほど」と納得させる小説
  • 読者に想像の猶予を持たせ、最後に「結局どうなったの?」と思わせる小説

 

わたしはどちらの小説も好きだが、どちらかというと後者のほうが好きだ。

後者のほうが、創造力と想像力を使える。

 

わたしは想像することが大好きで、行きすぎて妄想することも多い。

その思考の時間に至福を感じる。

 

しかし多くの読者は、明確な答えを求めているのだろう。

そして、何か意味のある話であると思いたいのだ。

 

小説は、単なるエンターティメイトであって、自己啓発本ではない。

それを小説に求めるのは、少し酷だろう。

 

 

小説は、すべてを解決させる必要はないのである。

 

実際、世の中には解決できない問題がたくさんある。

その中には、あえて解決すべきではない問題もある。

 

それなのに多くの人は、答えを知りたがる。その答えを知ったところで、「へぇ」で終わるのに。

 

答えを知ったからと言って、その人の人生を左右するほどのことはない。深く考えることもない。ただ知りたいだけなのだ。

そんな陳腐な欲求のために、すべての事柄に答えを出す必要性が見つからない。

 

だからわたしは森博嗣の考え方が好きだ。自分と似ていると感じる。

読むたびに「ホントに森博嗣はひねくれているな」と感じるが、そこがまた自分と似ている。

 

「具体的なことよりも、もっと抽象的に物事を考えるべきだ」という森博嗣の考え方にも賛同する。

 

もちろん、森博嗣のすべての考え方に共感しているわけではないし、本に書いてあることが、森博嗣の思考のすべてだとも思っていない。

だからおもしろい。わざわざそんなことを本で書くところが、おもしろいのだ。

 

死ぬまでにやりたいことリストに、「いつか森博嗣と話す」と加えておこう。

といっても、死ぬまでにやりたいことなんて、もともと3つしかない。

 

  1. 理想の家に住む
  2. 一生書き続ける
  3. 緑や空を眺めて、ゆっくり過ごす

 

この3つは、死ぬまで完璧に叶うことはないだろう。

 

なぜなら、自分が理想とする家は日々変化していくから。花壇にバラを植えたいという理想があっても、来年には野菜で埋め尽くしたいと思うかもしれない。だから理想はどこまでも続くのだ。

 

それに、一生書くことで稼いでいきたいと思っているが、それが叶ったかどうかは死ぬまでかわからないから。

 

3つめは、いつでもできるし、いつもできていないこと。つまり、やろうと思えばできるが、なかなかできないことなのだ。

 

だから3つともいつでも叶えられるが、一生叶えられない夢でもある。

なんか謎めいていて、ちょっと楽しい。

 

そんな言葉遊びのような文章が、わたしは嫌いではない。

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同じ景色が、こんなにもちがって見えるとは思ってもみませんでした。

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